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京都地方裁判所 昭和61年(わ)1464号 判決

本籍

京都市上京区上立売通堀川西入芝薬師町六二五番地

住所

右同所

歯科医師

桝茂光

昭和四年一二月一二日生

本籍

京都市上京区上立売通堀川西入芝薬師町六二五番地

住所

右同所

歯科医院従業員

桝美智子

昭和六年七月五日生

右両名に対する各所得税法違反被告事件につき、当裁判所は検察官小野公夫出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人桝茂光を懲役一〇月及び罰金一五〇〇万円に、被告人桝美智子を懲役一〇月に処する。

被告人桝茂光においてその罰金を完納することができないときは、金一〇万円を一日に換算した期間、同被告人を労役場に留置する。

被告人両名に対し、この裁判確定の日から二年間、それぞれその懲役刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人桝茂光は、京都市上京区立売通堀川西入芝薬師町六二三番地においてマス歯科医院の名称で歯科診療を営んでいるものであり、被告人桝美知子は同医院の経理を担当していたものであるが、

第一  被告人両名は、全国同和対策促進協議会京都府連合会本部会長笠原正継と共謀の上、前記事業に関し、所得税を免れようと企て

一  更に歯科医師岸和田惟明及び税理士玉置韶作と共謀の上、昭和五八年中における総所得金額は七八六九万四六五八円で、これに対する所得税額は三八八八万四四〇〇円であるにもかかわらず、右笠原に、被告人桝茂光が前記全国同和対策促進協議会に地域対策費三〇〇〇万円を支払った旨の虚偽の領収証を作成させて、右三〇〇〇万円を必要経費として架空計上し、自由診療収入のうち一四〇四万八七三〇円を除外し、給与の支給についても八一万七〇〇〇円を架空あるいは水増計上するなどの行為により所得を秘匿した上、昭和五九年三月一四日、右玉置が、京都市上京区一条通西洞院東入元真如堂町三五八番地上京税務署において、同税務署長に対し、総所得金額は一六九六万五五八八円で、これに対する所得税額は四一万八〇〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により昭和五八年分の正規の所得税額三八八八万四四〇〇円との差額三八四六万六四〇〇円を免れ

二  昭和五九年中における総所得金額は四四一三万一一七〇円で、これに対する所得税額は一四〇四万三四〇〇円であるにもかかわらず、右笠原に前同様地域対策費二〇〇〇万円を支払った旨の虚偽の領収書を作成させて、右二〇〇〇万円を必要経費として架空計上し、自由診療収入のうち一二三九万二一三〇円を除外し、給与の支給についても九三万八〇〇〇円を架空あるいは水増計上するなどの行為により所得を秘匿した上、昭和六〇年三月一一日、情を知らない税理士中田久弘が、前記上京税務署において、同税務署長に対し、総所得金額は一三一二万〇七三三円で還付を受ける源泉所得税額が二五九万〇八八七円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により昭和五九年分の正規の所得税額一四〇四万三四〇〇円との差額一六六三万四二〇〇円を免れ

第二  被告人桝美智子において、同桝茂光の右事業に関し、所得税を免れようと企て、昭和六〇年中における総得金額は三四八九万九一四〇円で、これに対する所得税額は七五五万六二〇〇円であるにもかかわらず、自由診療収入のうち一〇一八万九五一八円を除外し、給与の支給についても三三万二〇〇〇円を架空計上するなどの行為により所得を秘匿した上、昭和六一年三月一五日、情を知らない右中田が、前記上京税務署において、同税務署長に対し、総所得金額は一四二五万一八四九で還付を受ける源泉所得税額が三〇四万二八〇六円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により昭和六〇年分の正規の所得税額七五五万六二〇〇円との差額一〇五九万九〇〇〇円を免れ

たものである(税額の算定は別紙修正損益計算書のとおり)。

(証拠の標目)

判示全部の事実について

一  被告人両名の当公判廷における各供述

一  被告人両名の検察官に対する各供述調書

一  被告人桝茂光(五通)及び被告人桝美智子(一五通)の大蔵事務官に対する各質問てん末書

一  検察官及び弁護人共同作成の合意書面

一  大蔵事務官作成の脱税額計算書説明資料及び査察官調査書(検第八号、第一〇ないし第三二号及び第八七号の二五通)

判示第一の一及び二の事実について

一  証人岸和田惟明の当公判廷における供述

一  笠原正継の検察官に対する供述調書

一  大蔵事務官作成の査察官調査書(検第九号)

判示第一の一の事実について

一  証人玉置韶作の当公廷における供述

一  池上陽の大蔵事務官に対する質問てん末書(検第四九ないし第五一号の三通)

一  大蔵事務官作成の脱税額計算書(検第一号)、証明書(検第五号)及び査察官調査書(検第八八号)

一  押収してある領収証一枚(昭和六三年押第三八号の1)、五八年分の所得税の確定申告書控等一綴(同押号の2)及び五八年分の所得税の確定申告書等写し一綴(同押号の3)

判示第一の二及び判示第二の事実について

一  中田久弘の大蔵事務官に対する質問てん末書(検第四二ないし第四五号の四通)

一  大蔵事務官作成の査察官調査書(検第八五号)

判示第一の二の事実について

一  大蔵事務官作成の脱税額計算書(検第二号)、証明書(検第六号)及び査察官調査書(検第八六号)

判示第二の事実について

一  吉川滋の大蔵事務官に対する質問てん末書

一  大蔵事務官作成の脱税額計算書(検第三号)及び証明書(検第七号)

(補足説明)

一  弁護人は、判示第一の一及び二について、その各総所得、内訳、ほ脱額等の外形的事実は争わないが、判示第一の一の事実中、前記全国同和対策促進協議会に対して地域対策費として三〇〇〇万円支払ったとする内容の虚偽の領収書を右促進協議会京都府連合会本部会長笠原正継(以下「笠原」という。)に作成させ、右三〇〇〇万円を必要経費として架空計上した点は、被告人両名(以下、被告人桝茂光を「被告人茂光」、被告人桝美智子を「被告人美智子」という。)ともこれにつき不正の認識がなく、笠原と共謀したこともない、また、判示第一の一及び二の各事実中、自由診療収入の一部を除外し、給与の支給を架空又は水増計上するなどして経費を増大させ所得を秘匿した点は、被告人茂光においてこれに一切関与しておらず、不正の認識もなかった旨主張し、被告人両名もそれぞれ当公判廷において右主張に沿う供述をするので、以下、これらの点について説明をする。

二  そこで検討するに、まず前掲関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。すなわち、被告人両名は、昭和三〇年に結婚し、三人の息子を設けたものであるが、被告人茂光は、昭和三七年ころより父のマス歯科医院を引き継ぎこれを経営してきたこと、マス歯科医院は、被告人茂光を院長とする個人病院であり、同被告人は、昭和五一年ころ京都府歯科医師会上京支部長及び同支部青色申告会会長を兼務していたこと、同被告人は、三人の息子をそれぞれ歯科医師とするため相当の教育費を支出していた上、昭和五七年ころ、肩書住居地の隣地を購入して診療所を新築するなどの目的で、被告人美智子にその手続をさせて金融機関から多額の融資を受けたことから、その借金返済に追われ、経済的に苦しい状態に陥ったこと、被告人美智子は、被告人茂光の指示により右新築したマス歯科医院の経理を担当し、主に診療収入金(現金で受け取る窓口収入)の管理や記帳を任せられていたが、経理の専門的知識は乏しく、医院と家計の経費等の区別は必ずしも明確ではなかったこと、被告人両名は、マス歯科医院の経理に関しては、昭和五六年以前から広瀬伸彦税理士と顧問契約を結び、継続して同税理士事務所(以下「広瀬事務所」という。)に帳簿等の照合確認、決算書及び確定申告書の作成、提出等を依頼していたこと、昭和五九年三月八日(以下、格別明示しない場合は、昭和五九年のことである。)広瀬事務所の所長代理池上陽が同事務所で作成した昭和五八年分の所得税確定申告書(以下「申告書」という。)原案を被告人両名方に届けたこと、そのころ、被告人両名は、広瀬税理士あるいは右池上から、昭和五八年分として一七〇〇万円くらいを税金として納めなければならない旨聞いていたこと、被告人茂光は、三月初めころ、同僚の歯科医師岸和田惟明(以下「岸和田」という。)から

「税金が安くなるように面倒をみてあげるから申告書などを持ってうちへ来なさい。」と電話で言われたこと、同被告人は、三月八日夜、岸和田方を訪問し、同所で岸和田、笠原及び税理士玉置詔作(以下「玉置」という。)と会い、その場で、被告人茂光の押印のある、税務署提出用の申告書を、広瀬事務所が作成した申告書原案とともに玉置に渡したこと、同被告人は、三月一二日夜、京都市内祇園の寿司屋において、岸和田、申告関係の書類を持参した玉置及び笠原に会い、多額の税金が還付になる旨聞いたのみならず、その際、還付になる金額まで聞いていること、被告人両名は、税金が還付になることを聞いた後、申告期限である三月一五日の直前ころ、広瀬事務所の者に対し、昭和五八年分は被告人茂光の方で申告する旨述べ、同事務所の関与を断わったこと、一方、笠原は、事務員に命じて判示第一の一記載のとおり虚偽の領収証を作成させ、これを岸和田を介して玉置に渡し、同人が被告人茂光の申告書を作成し、三月一四日に上京税務署へ右申告書を提出し、同日、玉置が被告人両名方へ、上京税務署の受領印が押してある申告書控を三〇〇〇万円の内容虚偽の領収証とともに届けたこと、その後、被告人茂光は、謝礼として五〇〇万円を岸和田方に持参したこと、そして、被告人美智子は、昭和五八年及び昭和五九年中における総所得について、自由診療収入の一部を除外し、給与の支給を架空あるいは水増計上するなどして所得の一部を秘匿し、昭和五八年分については広瀬事務所及び玉置を介し、昭和五九年分については税理士中田久弘を介して、判示第一の一及び二のとおり虚偽の申告書を上京税務署に提出させていることの各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  まず、判示第一の一の犯行の共謀についてみてみると、前項で認定した、右犯行に至る経緯、とりわけ、マス歯科医院における経済状態、被告人茂光が三月八日岸和田方に赴いた動機、並びに、被告人両名の大蔵事務官に対する各質問てん末書によって認められるところの、同日岸和田方において、被告人茂光は笠原から「任せてもらえば税金はほとんど納めなくてすむようにする。」と言われ、笠原や玉置に対し「税金は少しでも少なくしてほしい。」と頼んだこと、及び、前示認定の同被告人がさらに同月一二日岸和田らと参集した状況、及びその後の本件申告に至るまでの状況に照らすと、判示第一の一の犯行の共謀は、まず、同月八日岸和田方において、被告人茂光、岸和田、笠原及び玉置との間で成立し、そのころ、被告人茂光を介して被告人美智子とも成立したと認めるのが相当である。すなわち、証人岸和田惟明は、三月八日三〇〇〇万円を特別協賛金として経費に入れることによって節税することの話し合いがあった旨当公判廷で明白に証言しており、岸和田証言はその内容が自然であり、岸和田がことさら被告人両名を罪に陥れる格別の事情も認められないので、その信用性は大であるというべきである。証人玉置韶作の当公判廷における供述は、全般的に自己の罪責を軽からしめんとする態度に終始していていささか不自然であるが、同証言によっても、三月八日三〇〇〇万円減らすというまでの話はなかったが三〇〇〇万円減らしたらどうなるという話があったというのである。三月八日後の経緯、すなわち、右岸和田証言によれば、同月一二日には玉置が申告関係の書類を持参して被告人茂光、岸和田、玉置らが参集し、申告原案を持参した玉置からその書類を見せてもらい、その説明を受けたという事実に照らすと、同月一二日までにはその原案は固まっており、同和地域対策費三〇〇〇万円の虚偽計上がなされていたものである。三月八日から同月一二日までの間、被告人茂光の当公判廷における供述によってさえも、被告人両名と岸和田との間に右地域対策費(三月八日の席上における特別協賛金)の額をいくらにするかを話し合った形跡は全くないのであって、虚偽とはいえ、いくら計上するかについて、被告人茂光及び被告人美智子が関与せず、岸和田と笠原らが独断で決めてしまうとは到底考え難く、そうすると、結局、岸和田証言にあるとおり、三月八日岸和田方においてそれを三〇〇〇万円とする旨の話し合いがなされたものと認められる。そうであるからこそ、被告人茂光が三月八日岸和田方において玉置に対し自己の印を押捺した白紙の申告用紙を渡していることを理解できるというべきである。そして、被告人両名の当公判廷における各供述によっても、被告人茂光から被告人美智子に対しそのころ三月八日岸和田方におけることの次第が話されていること及びその後の同月一五日の直前ころ被告人美智子から広瀬事務所の者に対して申告手続の依頼を取り消す旨伝えていること並びに被告人両名の起居を共にする夫婦である間柄に照らすと、三月八日のころ、被告人美智子もまた被告人茂光を介して同被告人、岸和田らと右ほ脱について共謀したものと認められる。

これに対して、右共謀に関する被告人両名の当公判廷における各供述は、右認定に反しており、いずれも自己の罪責を免れる意図がうかがわれ、あいまいかつ不自然であり、とりわけ被告人茂光は、税に関する知識のなかったことを強調するが、前示のとおり青色申告会会長を兼務した経歴を有していること、大蔵事務官に対して、専従者給与として申告してある長男夫婦の分は給料賃金として認めるよう主張していることなどから、到底そのようには思われず、これらを直ちに信用することができない。また、被告人両名の検察官に対する各供述調書は、被告人両名の当公判廷における各供述とほぼ同旨で、その限りでは一貫しているともいえるものの、当公判廷における各供述と同様、前認定に反している上、被告人茂光の検察官に対する供述調書では、三月一二日同被告人の留守のときに、提出する申告書の控と三〇〇〇万円の領収書一枚等を受領し、それから岸和田に確かめの電話をしたとあり、同日被告人は岸和田、玉置らと参集した客観的事実とそごしており、被告人美智子の検察官に対する供述調書では、三月一四日に提出した申告書の控を受領したとあるが、同月一二日のことは全く触れておらず(第一回の供述録取後、再度の取調べが行われた形跡はない。)、従前依頼していた広瀬税理士を断わり、玉置に依頼するに至った理由等についても、被告人茂光が岸和田のところに三月一〇日ころ出かけ、同和会を通じて申告したら税金が安くなるらしいから今年の申告は岸和田に頼む旨述べたというのであって、漠としており、検察官からはそれ以上に質問がなされた形跡もなく、これらの各供述調書を直ちに信用することはできないといわなければならない。

四  次に、判示第一の一及び二の各自由診療収入の一部除外等による所得の秘匿についてみると、被告人茂光はいずれの事実も全く知らなかった旨、被告人美智子はそれらは同被告人が単独でやったことで、夫である被告人茂光は一切関与していない旨それぞれ当公判廷で述べており、被告人両名とも、検察官に対してそれぞれ右同旨の供述をしている。しかし、被告人茂光は、大蔵事務官に対して、自由診療取入の一部を除外するように被告人美智子に指示し、被告人美智子が自由診療収入の一部を除外した、いわゆる裏金で、自由診療に使用する金の歯科用五グラムを購入し、これを同被告人の布団などに隠ぺい保管していたことを知っていた旨述べており、被告人美智子も、また、大蔵事務音に対して、自由診療取入の一部除外を被告人茂光から指示されて昭和五八年から昭和六〇年までその一部を除外していわゆる裏金を作り、その管理も任され、裏金で自由診療用の金五グラム板を購入し、これを自己の布団の下に隠しておき、その棚卸し等は税理士に報告しなかった旨述べており、右指示の日時・場所等は、被告人両名の大蔵事務官に対する各質問てん末書を検討しても、これを特定することはできないものの、被告人両名が起居を共にする夫婦である以上、それが特定していなくとも必ずしも不自然とみるべきではなく、自由診療収入の一部除外の始まった昭和五八年の最初の一部除外ころまでにはその指示があったと認めるべきである。この点についての被告人両名の大蔵事務官に対する各質問てん末書は、いずれも具体的、詳細かつ自然であって、被告人両名とも、在宅のまま大蔵事務官の質問を受けており、しかも、その調べの日も、最初の調べから約二か月を経た昭和六一年八月下旬、九月初旬で、被告人両名とも十分余裕をもって質問に応じているものと考えられ、これらは信用できるというべきである。これから質問てん末書と対比して、自由診療収入の一部除外についての被告人両名の当公判廷の各供述は、いずれもそごしている上、全般に不自然であって、信用できない。もっとも、これらの各供述は、被告人両名の検察官に対する各供述調書とはおおむね符合している。しかし、右各供述調書は、いずれも被告人両名がそれぞれ、自由診療収入の一部除外について被告人茂光はこれに関与していない旨述べるのをそのまま録取しているにとどまり、進んで、被告人両名の右各質問てん末書とのそご、他の証拠の検討結果との対比等、捜査官として真実を追求した形跡をうかがうことはできず、直ちに信用することはできない。そうすると、自由診療収入の一部除外については、被告人茂光の指示により、被告人美智子が昭和五八年から昭和六〇年まで行っていたことが前示のとおり認められ、これに加えて、被告人両名の前期間から、被告人茂光が被告人美智子に経理を任せていたこと、マス歯科医院における当時の経済状態を合わせ考えると、そもそも自由診療収入の一部除外の目的は、特段の事情のない限り、税金を免れるためであることは事理明白であるから、被告人両名において、昭和五八年からの自由診療取入の一部除外について相謀っている以上、これを手段方法とした昭和五八年からの所得税ほ脱の共謀があったと認めるのが相当である。

なお、弁護人は、自由診療収入の一部除外等については、判示第二のとおり、昭和六〇年に関しては、被告人美智子が行為者として公訴提起されながら、納税者である被告人茂光は何ら問責されていない点を指摘する。なるほど、本件各証拠を検討してみても、特に昭和六〇年だけ別個に事件処理をしなければならない理由はわからない。しかし、このことから直ちに、被告人茂光が自由診療収入の一部除外につき関与していないことの証左とみることはできないことはもちろん、昭和五八、五九年中の各ほ脱行為中の自由診療収入の一部除外における被告人茂光の関与の認定を何ら左右しないというべきである。

五  ところで、給与の架空あるいは水増計上については、その申告時までに、被告人茂光が被告人美智子と共謀していたことを認めることができる証拠は全くない。したがって、この点については、被告人茂光は、昭和五八年、五九年の二年次とも関与していなかったというべきである。

しかしながら、本件ほ脱行為は各年次ごとに一個の行為であり、被告人茂光は、昭和五八年、五九年の二年次ともそのうちの判示地域対策費三〇〇〇万円又は二〇〇〇万円を経費として架空計上した点及び自由診療収入の一部除外については、いずれも、被告人美智子らとの共謀が認められるのであって、そもそも所得税法二三八条一項のほ脱犯の犯意は、真実の所得よりも過少申告する意図とともに、その手段方法が不正であることの認識が必要であると解されるところ、後者の認識については、不正申告の各項目に関しで具体的に逐一これがなければならないとまでは必ずしも解されず、被告人茂光において、給与の架空あるいは水増計上について認識を欠いていたにせよ、判示第一の一及び二の本件ほ脱についての犯意を欠くことにはならないというべきである。

(法令の適用)

被告人両名の判示第一の一及び二の各所為はいずれも刑法六〇条、所得税法二三八条一項(被告人桝美智子については更に刑法六五条一項)に、被告人桝美智子の判示第二の所為は同法二四四条一項、二三八条一項にそれぞれ該当するところ、各所定刑中被告人桝茂光についてはいずれも懲役及び罰金の併科刑を、被告人桝美智子についてはいずれも懲役刑をそれぞれ選択し、被告人桝茂光については情状によりそれぞれ同法二三八条二項を適用し、同人については判示第一の一及び二の各罪は刑法四五条前段の併合罪であるから懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第一の一の罪の懲役刑に法定の加重をし、罪金刑については同法四八条二項により各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人桝茂光を懲役一〇月及び罰金一五〇〇万円に処し、被告人桝美智子については判示各罪は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第一の一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人桝美智子を懲役一〇月に処し、被告人桝茂光において右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金一〇万円を一日に換算した期間被告人桝茂光を労役場に留置することとし、被告人両名に対し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予することとする。

(最刑の理由)

本件は、マス歯科医院の名称で歯科診療を営んでいる被告人茂光及びその妻で同医院の経理を担当している被告人美智子が、同和団体の会長と共謀の上、昭和五八年分及び同五九年分の二箇年分、昭和五八年分は更に外二名と共謀の上、全国同和対策促進協議会に地域対策費を支払った旨の虚偽の領収証を利用して、その金額を必要経費として架空計上し、加えて自由診療収入の一部を除外するなどして不正な方法で過少申告し、更に、被告人美智子において、昭和六〇年分も自由診療収入の一部を除外するなどして不正な方法で過少申告し、三年間で合計六五〇〇万円余をほ脱したという事案であって、そのほ脱率は昭和五八年分は九八パーセント、同五九年分は還付を受けた額も加えると一一八パーセント、同六〇年分も前同様一四〇パーセントと極めて高率である上、年追うごとに高率になっており、昭和五九年分と同六〇年分については、本来、税金を納めなければならないところ、かえって還付までも受けているのであって、被告人両名の遵法精神の欠如は甚だしく、本件が社会に与えた影響、とりわけ適正に納税をしている大多数の納税者に与えた影響は大であったものと思われ、被告人両名の刑事責任は重いというべきである。

しかしながら、被告人両名は、当然のことながら、本件により、高額の重加算税を分割により支払いをしてきている上、長年にわたって築きあげてきた社会的信用を失い、相応の社会的制裁を受けていると思われること、被告人茂光には業務上過失傷害罪による罰金前科が一件あるのみであり、被告人美智子はこれまで全く前科がないこと、被告人茂光は長年地域の歯科医療等に貢献してきたこと、被告人美智子はマス歯科医院の裏方として従業員の世話をし、また三人の子を育て、夫に協力して真面目に働いてきたこと、被告人両名は現在では本件の非違を十分反省悔悟しており、再犯を犯すおそれは少ないと思われることその他弁護人の指摘する被告人に有利な事情を十分にしん酌し、今回は、被告人両名に対し、その懲役刑の執行を猶予することとして、主文のとおり量刑した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 萩原昌三郎 裁判官 河野清孝 裁判官 牧真千子)

租税犯の類型

過少申告脱税犯

修正損益計算書

自 昭和58年1月1日

至 昭和58年12月31日 (総所得金額)

〈省略〉

租税犯の類型

過少申告脱税犯

修正損益計算書

自 昭和58年1月1日

至 昭和58年12月31日 (事業所得)

〈省略〉

租税犯の類型

過少申告脱税犯

修正損益計算書

自 昭和59年1月1日

至 昭和59年12月31日 (総所得金額)

〈省略〉

租税犯の類型

過少申告脱税犯

修正損益計算書

自 昭和59年1月1日

至 昭和59年12月31日 (事業所得)

〈省略〉

租税犯の類型

過少申告脱税犯

修正損益計算書

自 昭和60年1月1日

至 昭和60年12月31日 (総所得金額)

〈省略〉

租税犯の類型

過少申告脱税犯

修正損益計算書

自 昭和60年1月1日

至 昭和60年12月31日 (事業所得)

〈省略〉

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